「最もリアルな バーチャルリアリティ: 西方浄土への6年5ヶ月の 旅」からの抜粋 : 私達の物語は 麦斜岩寺の住職 寛浄法師という 僧侶がいた 20世紀半ばに 始まります 1967年10月25日 一人の僧侶が 寛浄法師の瞑想室から 急いで出て来て 寺院の僧たちに師が 失踪したという衝撃的な 知らせを伝えました 当時は文化大革命の 2年目だったので 僧侶は すぐに「ああ 数日前に 凶暴な紅衛兵の一団が 寺院に押し入ったが 関係があるのだろうか」 と考えました 紅衛兵は寺を破壊 しなかったものの 寛浄法師のもとに直行し 非常に厳しい言葉で 彼を叱責し こうも言いました 「そこで待っていろ どこにも行くな 数日後に戻ってくる」と そして紅衛兵の一団は 傲慢に去って行きました捜索隊は雲居山の 百以上の洞窟を注意深く 捜索しましたが師の 痕跡は依然として 発見できませんでした 人々は救助隊を動員し そこの貯水池や池を 捜索し あらゆる場所を 捜索しましたが 彼の痕跡は 見つかりませんでした 結局 寺は渋々ながら 寛浄法師が 亡くなったことを 外部に発表することしか できませんでした時が流れ 1973年の ある日 麦斜岩寺の僧達は 他の日同様に午前4時に 忙しく仕事を始めました 僧侶たちが庭を掃き 門を開けると 皆が驚きました 6年以上行方不明だった 寛浄法師が 門のすぐ前に立って 微笑んでいたのです 高僧は門を開け 長い間 呆然としていましたが ついに「住職様がお帰りに なりました!」と声を 上げることができました 今度は 寺院全体が 爆発したように 誰もが集まって 延々と質問して 知りたがりました なぜこんなにも長年 行方不明だったのか どこへ行っていたのか法師は 6年前 瞑想室に座っていると 突然誰かが自分の名を 呼ぶ声が聞こえたと 言いました 法師自身は何が 起こっているのか分からず 理由も尋ねず 漠然と 寺院から聞こえてくる 音を追っていました 頭は少しぼんやりして 法師は心の中では 徳化県へ旅することを 明確に分っていました 福建省徳化県は 麦斜岩寺から百キロ 以上離れています その県には 九仙山があり そこには小さな 弥勒洞があり その中に 唐代の弥勒仏が 祀られています 寛浄法師は疲れる ことなく歩き続け 徳化地区に 着こうとした時 彼は「円観法師」と名乗る 老僧に出会いました 円観法師は彼を 九仙山に一緒に 登ろうと誘いました 寛浄法師が驚いたのは この高位の円観尊師が 前世でどこに転生し 前世での名は 何であったかなど 全てが分っているようで 明確に話すことが できたことです二人が話をしているうちに 弥勒洞の前に 到着し 寛浄法師は さらに驚くような 光景を目にしました 荘厳な寺院が 目の前に現れ 寺院の 門の両側に二つの仏塔が 立っていました 寛浄法師と他の皆が山門に 入った後 円観大師は 寛浄法師に 今回の旅の 最初の目的地は 「兜率天」で 彼の師 「虚雲禅師」を訪ねる ことだと告げました 兜率天は 仏教で言う 欲界六天のうち 第四番目の天です 仏教の経典によれば 兜率天も 内廷と外廷に 分かれています 内廷は弥勒菩薩の 浄土であり 弥勒菩薩が 頻繁に住んで 法を説く場所です 弥勒菩薩と 縁のある衆生だけが 兜率天の内廷に 転生することができます この知らせを聞いて 寛浄大師は本当に 大喜びしました円観大師は笑って 言いました「実は 祈りが 存在しないのではなく 貴方の本性は無数の カルマの障害で覆われて いるため 見ることが できないのです」 真摯にマントラを 唱えると カルマの障害は 消えて 見えるように なるでしょう」 そう言うと 円観大師は 寛浄法師に真言を 唱え続けるように 言いました 突然 二人の足元に二つの 蓮の花が現れました 二人は雲と風に乗って いるように どんどん前に 進んでいきました 周囲の壮大な景色が 徐々に遠ざかり ついに荘厳な宮殿の 前に到着しました 門では 赤い絹の袈裟を 着けた20人以上の 僧侶が二人を 出迎えていましたそのリーダーは他でもない 寛浄法師の師 虚雲禅師でした 寛浄法師は感動して 泣きそうになりました 彼は歩み寄って 師の前に跪きました 虚雲禅師は彼を 助け起こし 微笑みながら 尋ねました「貴方の隣の 円観尊師がどなたか 知っていますか?」 寛浄法師は尋ねました 「どなたですか?」 虚雲禅師の答えは 晴れた空に落ちる 雷のようでした 彼は言いました 「実際 彼は 観音菩薩の化身です」 この瞬間 寛浄法師は突然 悟りを開き 全ての 疑問が解決しました円観尊師は言いました 「次の停留所は どこか知っていますか? それは西方極楽浄土です これ以上遅れないで これ以上遅れると もう時間がありません」 大乗仏教に登場する 西方極楽浄土とは 阿弥陀仏 観音菩薩 大勢至菩薩が共に住まう 聖地です 美しい景色の真ん中に 雄大な金山があります 二人は 金山の前まで歩いて 立ち止まりました 円観尊師は言いました 「着きました! 阿弥陀仏は目の前にいます 見えますか?」 寬浄法師は困惑して 首を振りました: 「何も見えません」 円観尊師は微笑んで 「貴方は阿弥陀仏の 足元に立っています」円観尊師はすぐに 寬浄法師に 跪いて 阿弥陀仏に 加護を願う よう勧めました 寬浄法師は すぐに跪いて 心から祈りました 祈りを捧げると 自分の 体がどんどん高くなり ついには 阿弥陀仏の へその高さに達し その真の姿を見ました まさに阿弥陀仏が 彼の前に 立っていたのです 彼は 無数の層を持つ 蓮華座の上に立つ 阿弥陀仏を見ました 蓮の花びらの各層には 美しい仏塔がありました さらに遠くを眺めると 寬浄法師は 西方極楽浄土の 全景を目にしました 彼が目にしたのは 内部に広がる 雄大で 華麗な 何層にも重なる 美しい風景でした 後に寬浄法師の話によると ここの美しい景色を全て 説明したかったとしても 7日7晩では 足りない だろうと言いましたその瞬間 円観尊師は 観音菩薩としての 本来の姿に戻りました 菩薩は 阿弥陀仏の 肩ほどの背丈があり 全身が透明で 何千もの光線を 発していました 寬浄法師は 突然 目を覚まし すぐに 阿弥陀仏の前に跪いて 生死から逃れられるよう 加護を願いました 仏陀は 観音菩薩に 言いました 「彼を案内してください」最高位の蓮池で 寬浄法師は 近代中国の 偉大な僧侶の一人である 印光法師に会いました 寬浄法師は 蓮池を訪れた後 阿弥陀仏に別れを告げ 蓮の花に乗って 浄土から飛び立ち 中天羅漢殿に戻りました ある若者が 水を一杯持って 来たので 寬浄法師はそれを 飲んで 眠りに落ちました 目が覚めると 美しい景色は全て 消えていました 金色の宮殿は なおも輝いていて 観音菩薩は 寬浄法師の心に なおも刻み込まれており 彼の目の前に はっきりと残っています しかし彼は 自分が九仙山の 暗い弥勒洞に座っている ことに気づきました寬浄法師は 洞窟の中で 3日間待ちましたが 完全に希望を失い 落胆しながら 山を下りました 寬浄法師は落胆して 麦斜岩寺に向かって歩き その道中には 多くの人が 行き来していました 歩いていると 寬浄法師は 何かがおかしいと 感じ始めましたが 理由は分りませんでした 突然 道に奇妙な標識が いくつも現れました 寬浄法師は通行人に尋ね そして驚きましたー それはもう1973年 4月8日だったのです つまり 寬浄法師は 浄土に一日いましたが 人間界では 6年5ヶ月 経過したことになります 住職がこの不思議な体験を 語るのを聞いて 麦斜岩寺の僧侶たちは 皆 とても驚きました それ以来 彼らはさらに 熱心に修行を続けました
それは 私の一部の 神の弟子の体験に似て 彼らが 阿弥陀仏の 西方極楽浄土を 訪れた時の体験と 殆ど同じですPhoto Caption: 愛、哀しみとの別れ!どの良き宗教的伝統に庇護を見つけるか全11回の6回
2024-10-04
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このティク ナット トゥは 所謂僧 僧ではありません 彼は 偽の僧です 本当の僧は 仏陀に反する 発言はしません なぜなら 彼は このたった一度の 阿弥陀仏の西方極楽浄土の 否定によって 他の全ての 仏陀の 他の全ての 楽園も否定したからです なぜなら 私達には多くの 仏陀がいて それぞれが 信者の為に 独自の楽園を 創造したからです だから 阿弥陀仏の浄土は 存在しないと言うことで 他の全ての仏陀の 楽園を否定したのです 彼は 釈迦牟尼仏の 存在も否定しました つまり一言で言うと 彼は 本当に仏教に反しています地獄は存在しないと言って 人々を励ましました カルマを恐れないよう 報いを恐れないようにと 彼らは他人に対し どんな 悪事や邪悪な行為もできます 又は政府の法律に反します 彼らは気にしないからです だから 分りますね これは全く容認できません それを自身で考えて下さい 普段から 阿弥陀仏の名を 唱え 仏土を一生涯 観想している人が 突然 今 阿弥陀仏の浄土も 西方極楽浄土もないと説く この僧侶に従ったら 彼らは全てを失うでしょう 生涯かけて築いてきた エネルギーや信念を 全て失うでしょう 彼らはどこへ行きますか? 突然 虚無に落ちます そして道に迷います; この世に再び転生するか 地獄に行くか どちらかで もう仏陀を信じて いないからです仏陀を信じないなら 他に誰を信じれば いいのですか? 他に誰に頼るべきですか 貴方の命を救い この存在の 泥沼から抜け出し 地獄から 救ってくれるのは? 他の全ての僧や尼僧に 決してこんな事は言わない よう勧めます「地獄はない 阿弥陀仏の浄土はない」又は 他のどんな仏土もない 等と 可能な限り 最も深い 地獄に堕ちるからです 私は真実を話すと約束します 神は私の証人であり 仏陀は私の証人です 人々に阿弥陀仏の名を 唱えるよう勧めるべきです なぜなら 仏陀は 自らそれを語り 自らそれを教え その仏土の美しさを 全て描写したので それを想像すれば そこに行くでしょう御名を唱えれば 今生で 阿弥陀仏に 会えるかもしれないし 今生で 西方極楽浄土にも 行けるかもしれません つまり 勿論毎日でなくても 時々 垣間見たり 数分間 数時間 そこに いるよう誘われたりしますある僧侶がいました 彼は寺の住職です どこかで読んだのですが… 今 名前を忘れましたが きっと分るでしょう 載せるよう彼らに頼みます 皆さんの為にその僧の 名前 寺院 彼の物語を 彼は 生きたまま 阿弥陀仏の国土へ 行きました 観音菩薩の 助けを借りて 一部始終を 彼は記録し; それを国民のために 書き記しました 彼とその寺院を 知っている多くの 僧侶や仏教信者は この話を知っています彼はサマディ中に たった 一日だけ出かけました 彼は 観音菩薩と 一緒に歩き それは 僧 老僧として現れた方で 後になるまで その事を 知りませんでした 彼は 阿弥陀仏の 西方極楽浄土の 各地を訪ねました 生きて帰ってきたのですが 人々は皆 彼を見て驚き ました 彼が行方不明に なった期間は 6年5か月だったからです でも彼にとっては たったの一日でした 人々は 彼が死んだと さえ宣言し 当時は 宗教の自由も なかったからですその前に すでに一部の 政府役人や警察が 彼の寺院を訪れ 彼を脅迫し 叱責し 様々な方法で中傷し また彼を捕まえに 来ると脅しました それで この聖なる僧侶が 姿を消した時 誰もが 百の洞窟と十方にわたって 彼を探しましたが 見つけられませんでした ずっと後に 彼の死亡を 宣告せねばなりませんでした 彼らは 政府がすでに 彼を連れ去ったのでは ないかとも考えました 至る所を調べて 政府も彼を見つけ られなかったため 死亡したと宣告されました 想像してみて 彼が寺の 前に生きて戻った時の事を 彼らには どれほど大きな 驚きだったことか 彼は生きた人間であり 尊敬される僧で 非常に 有名な寺院の住職でした だから あえてこのような 嘘はつきません 何の為に? それで 彼は戻ってきて 旅の詳細を語りました