要約
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先ほど言った通り カオダイ教の最高の 伝達者は 貴方が 見つけうる最高の寺院で 見つけられるでしょう カオダイは「高い領域」です 皆さんと話した後に 初めて知りました 「英語で何と呼ぶのか?」と ずっと考えていました 「カオ」は「高い」という意味 「ダイ」は「土台」のような ものを意味します しかし それは英語では 「高次の領域」を意味します 私にできる最高の翻訳です そこにいる聖人の皆さん 私が皆さんの教えの 深く 深遠な意味を あの様な一語で表現でき なかったならお許し下さいインドのビアースかビアース の師の支部に行けます 彼らの後継者はまだ 彼らのパワーを継承し その加護を保持しています 彼らを信頼できます ビアース(BEAS)は ビアースの創始者である ソアミジ マハラジ ジ聖下 から師ババ サワン シン ジ 師サント キルパル シン ジ などのマスター達まで 遡る後継者の集団です 彼らは正直なマスターです 無条件の愛の伝統に 深く根ざしているので 決して貴方を傷つける ことはありません 彼らを信頼できますどの伝統であれ 最も近い 伝統を頼って構いません 多分 ホアハオ教も オウラック(ベトナム)の ホアハオ教も新しいですが 師の加護はまだ健在です オゥラック(ベトナム)の 仏教 ダオ ドゥアも グエン タイン ナム師 フイン フーソー師 ゴー ミン チエウ師 ミン ドン クアン師も 一つの集団なので 行って加わることが できます ミン ダン クアンも 伝統を持っています 彼らは長い間 オウラック(ベトナム)で 修行を続けています まあ 彼らができる限りは 彼らのエネルギー 加護の エネルギーは今も彼らの 信者たちと共にあります だから彼らにも加われますつまり選択肢は多いのです 良かったですね これらの伝統的な宗教集団 が在る事がとても嬉しいです とても幸せで とても 嬉しいです 彼らと 縁があると分かったら ぜひ 彼らを選び 心と精神と魂の全てを 捧げて下さい 一つの集団を選んで下さい どれも助けになるので 1つだけの方が良いです ただ自分自身を捧げ 毎日 真剣に赦しと 魂の解脱を 祈らなければなりません そこに幾らかの希望が あると伝えただけです 私がたった今述べた 宗教団体に従えば 全員が解放されるとは 保証できません 私達の世界がこの本当に 悲惨で危険な時期にある 時に 本当に解放され 魂が救済されたいなら 貴方次第です 貴方の誠実さ次第です 貴方がキリスト教徒なら 主イエスキリストのように ビーガンになるよう努め仏教徒なら 釈迦牟尼仏の ようにビーガンになるよう 努めて下さい そして 貴方が理解し 信用する主イエス キリストの言葉を信じ 仏陀の言葉を信じ 聖人の言葉を 信じて下さい 一貫道も試せます: 少なくともそこにいる時は 同じ思いやりのある心を 持った人々と一緒です 彼らはビーガン または/ 及びベジタリアンです 今思い出せるのは以上です 私が知る全てです 世界の片隅の どこかに 密かに 私が知る機会のなかった もっと多くの宗教的信仰が 存在するかもしれません 自分の直感を信じ 自分の心を信じ 全能の神がそこに導いて 下さると信じて下さいそして 仏教では 自分が望み 自分が信じる 仏教のマントラを何でも 唱えることができます 例えば チョ ダイ ビー 大悲呪(大悲心マントラ)や 首楞厳経マントラなど これらはマントラです また ことによると 観音菩薩の名を 唱えたり 阿弥陀仏の名を 唱えても良いでしょう 彼らは仏教信仰に於いて 最もポピュラーで 最も実践し易いです 彼らは常にそこにいて貴方を 喜んで助け解放してくれます 貴方がキリスト教徒で あれば 貴方が信頼する 聖人の名前を唱え 貴方が唱える名に 全幅の信頼を置き 全身全霊を注ぐのです 毎日全能の神に祈って下さい 貴方が信じるその聖人に 祈り その聖人 その マスターの傍にいます阿弥陀仏をお勧めします というのは 忙しい生活にも 短くて簡単だからです そして 三聖人 例えば 阿弥陀仏と 観音菩薩と ダイジーチー ボタット (大勢至菩薩) ー英語名は分りません 今は忘れました この御三方 三聖人ー 阿弥陀仏 観音菩薩 ダイジーチー ボタット (大勢至菩薩)ー彼らは常に 貴方に耳を傾けています だから どうか彼らを信じ 彼らの名を唱え 二千五百年以上前に 仏陀が説明した様に彼らの 仏土を想像して下さい「すると 仏陀は長老 舎利弗にこう言いました 『ここから西へ向かって 十万バツ里の仏国土を 過ぎれば 極楽浄土と呼ばれる 仏土に着くだろう そこには阿弥陀仏という 仏陀がおられる 彼は今そこに住み 仏法を教えている 舎利弗よ なぜその仏土を 極楽と呼ぶのか? その仏土に住む衆生は 苦痛を味わうことなく 様々な喜びのみを享受する このため その仏土は 極楽浄土と呼ばれている また舎利弗よ 極楽浄土には 七列の欄干と 七列の飾り網と 七列の樹木がある それは全て4種の 宝石で作られており 仏土全体に広がり 全てを包含している このため その仏土は 極楽浄土と呼ばれている また舎利弗よ 極楽浄土には 八つの優れた性質を 備えた水が満ちた 七つの宝の池がある 池の底は金の砂だけで 覆われており 各底の 四方からは金 銀 緑柱石 水晶の階段が そびえ立っている これらの上には 金 銀 緑柱石 水晶 サファイア バラ色の真珠 コーネリアンで飾られた パビリオンが立っている 池には戦車の車輪ほどの 大きさの蓮があり 青い蓮は青い光を放ち 黄色い蓮は黄色い 光を放ち 赤い蓮は 赤い光を放ち 白い蓮は 白い光を放っている それは素晴らしく 美しく 香りがよく 清浄である 舎利弗よ 極楽浄土はこのような 素晴しい装飾で満ちている また舎利弗よ あの 仏土では 天国の音楽が 絶えず奏でられている 地面は金でできている 昼と夜に6回 マンダラヴァの花が 空から降り注ぐ[…]舎利弗よ もし善良な 男女が阿弥陀仏の名を 聞いて 心を集中させ 惑わされずに たとえ 一日、二日、三日、 四日、五日、六日、 七日でも 阿弥陀仏の名を唱え 続けるならば 死の時に 阿弥陀仏が聖なる者と ともに現れるであろう その結果 命が尽きても 熱望を抱く者の心は 混乱に陥らず すぐに阿弥陀仏の 極楽浄土に 生まれるだろう 舎利弗よ これらの利益を悟り 我は言う:この教えを聞く 全衆生は その仏土に誕生 するよう熱望すべきである』」 ~ 釈迦牟尼仏 (ビーガン)が説いた 阿弥陀経より瞑想や祈りの中でそれを 想像して下さい 彼らの名を昼も夜も 絶え間なく唱え続ければ 彼らは貴方をこの激動の 世界から 生と死の 輪廻から 永遠の苦しみと 地獄から救い出すでしょう だから もし私を信頼せず 信じないのなら どうか祖先の宗教に戻って 彼らの名を 唱えて下さい でもビーガンになる べきです そうすれば 仏陀や聖人の純粋さに もっと近づけるからです ビーガン主義が世界を 助けると信じなくても 少なくとも貴方を助けます 勿論 環境も助けます もうご存じですね 全ての研究 全ての 科学者が ビーガン主義が 世界を救うだろうと すでに確証しています 世界を飲み込み 空気や環境内の エネルギーに問題を起こす メタンがなくなるからです 殺生によって生み出した 負のカルマは言うまでもなく それは 私達の世界に 際限なく 不運 病気 戦争をもたらしますもし天と私が 皆の為に この物質世界を救えなければ 私は自分を責めるだけです 本当に 全ての家を 一軒一軒訪ねて 目覚めさせたいのですが それは物理的にも 政治的にも不可能だからです 一部の人々や 一部の政府でさえ 私の使命に対し まだ多くの 問題を起こしているからで 公然と 又は密かに 世界中の至る所で 私の弟子達にも問題を 起こしています 現代においても 主イエスキリストは既に この世から去っており 政府の権力に対する いわゆる「危険な脅威」も 既になくなっています でも まだ日々 数多くの キリスト教徒が迫害を 受けており この世界で 今世紀においても! 真理を広めようとする 生きている人間は 言うまでもありません 主イエスや仏陀のように 想像してみてくださいまだここにいられて とても嬉しいです とても嬉しいです 多くの 国々で 所謂私の弟子 神の 弟子と呼んでいる人達が まだ生きていて 観音法門を 修行する為に まだ十分な 安心と安全があることで 自分自身と 多くの世代を 解脱させる為に 自らの功徳によって マスターパワーとの 繋がりによって それは本当に嬉しいです その事を神に感謝しますそれでも簡単ではないです インドではそうでしょう 他の国では違います でも神が私を置いたどの国 でも働かねばなりません 仕事をする為に できるだけ 安全な国を選べません もっと安全な所 最も安全な 国にいられればと思います つまり毎日の仕事 弟子との日々の接触 物理的にもです それで信仰を実践し 維持する 力がより強くなったと 感じます それは役立ちます マスターの物理的な 存在に役立ちますでも私の安全が 第一であるべきです 住宅街に小さな部屋が あったのですが それさえ 維持できませんでした 今はほぼ真夜中に逃げねば ならず 荷造りの時間は たったの40分 しかないと言われました 私はただ逃げました 私のような小さな人間は 沢山運べないので 現在テントに必要なものが 全ては揃っていません でも私は幸せです 本当に感謝しています まだここで皆と話してます 最低限の快適さではあっても 尚も素晴らしいです 感謝しています 感謝しています どれだけ 多くのホームレスの人々 子供たちが泊まる場所もなく テントさえ持たずに 又はテントを持っていても どこにも張ることが できないことを考えると なぜなら彼らが 荒野に行くと 街から遠く離れてしまい 物理的に自活できなく なるからです でも彼らが街の近くで 物乞いをしに行ったり テントで生活したり すると 政府や地元住民 そして彼らの貧しい 持続可能な生活を 続けるのを妨げる あらゆるものとの間で 問題に巻き込まれる かもしれません だからこの全ての人々の ことを考えると 私は 既に十分幸運に感じますPhoto Caption: 美しさが見過ごされる 場合がある? これもその一つです!