要約
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一生涯で 開悟と解脱に達する 真の法門のためには (内なる天の)光を見て (内なる天の)仏陀の教えを 聞かねばなりません それを高次元からの 「流動」と呼び 貴方の 体内にもありますが 普遍的な高次元の パワーと再接続する 必要があるのです でなければ 貴方は永遠に 座り続けることになります そこに座り続け レンガを磨いても 鏡にはならないと 示した禅師の 弟子のように だから修行をしたいなら ただ観音法門の 瞑想を続けて下さい それは普遍的な力 十方の仏国土 神の天の住まいと 直接繋がるのですそして それを誇りに 思わないことです 日々自分を向上させ ますます開悟したら 喜び 感謝してください 神に感謝し 貴方を祝福し 人生に瞑想の近道を与え 助けてくれる全ての師と 仏陀に感謝してください 彼らの祝福が貴方を守り 貴方が修行し 自身を祝福し そして 同時に世界をある程度 祝福できます 常に感謝し 謙虚であること それが方法です正しい方法を教える 師を持つべきであり 貴方は正しく熱心に修行 するべきです それだけです それ以外は 二の次です 何を着ても OKです 着なくても OKです ただ一部の国では公の場で 見せないでください インドは違います 彼らは修行者を 認めるでしょう; 誰でもただ裸になって 「咲け 咲け」と歩き回れる わけではありません 警察が来て 丁重に貴方を どこかに連れて行きます どこかは分りますね 同じです 多くの 西洋諸国のように それを許さないでしょう インドは違います どうか ですから 何を着ても 着なくても 悟りとは 何の関係もありません 何回食べようが 悟りとは 何の関係もありません この悟りの方法を 実践し続けること それが重要です そして自慢しないことですだから私は大抵の場合 自分の体験を外部の人や 家族にさえ 話さないよう言うのです ただたまに 時々 ハートラインに書いたり たまに我慢できずに保持 したりするのはOKです でも毎日 又は頻繁に 自慢しに行かないこと 「ああ 悟りの霊的境界に 到達した あれを見た これを見た」と だからそうしないよう 言ったのです 心に留めておくこと 私も多くの事を内緒に しています 多くを ただ時には本当に必要なら 幾つか言及します でなければ 黙っていた方が いいです 他の人が 貴方のエゴを膨らませ 貴方が悟りの境地に 達したとか 貴方は 最高位のマスターだとか 勘違いして 貴方を称賛し 貴方の エゴを膨らませます すると貴方は破滅し お終いです それが一つです もう一つは 他の人が貴方を 嘘つきだと考えたり 貴方に嫉妬したり 様々な方法で貴方を傷つけ ようとすることです だからマスターの 本当の マスターの運命は 本当に とても短いのですもし主イエスが表に出て 人々に教えなければ 磔で死ぬ必要は なかったでしょう 仏陀が慈悲の心で 公衆の面前で自ら マスターにならなければ 何度も傷つけられたり 足の指を失ったり あの時 3カ月も飢えたりする ことはなかったでしょう 多くの他のマスターも 彼らの名を挙げ 彼らの歴史を読むと 終わりなき苦しみでした 毒殺や 生きたまま揚げられ 絞首刑や首を切られ これまでどのマスターにも 起こったあらゆる類いの 苦しみを 彼らはただ 慈悲心から公に出て 教えを説いたからです だから彼らはこの全ての 結果に耐え 多くの苦しみを 味わわねばならないのですだから体験を 心に留めておくのです 貴方が仏陀のような智慧を 持つなら 貴方は仏陀です 貴方が仏陀のような パワーを持ち 他の 衆生を解放できるなら 貴方は仏陀です それ以外は 何をしても 仏陀ではありません それを忘れないで下さい 私がもう 喚起させる事ができなく なった場合に備えて どうか忘れないで下さい 謙虚に 静かに 熱心に修行して下さい私達の団体の僧に再び なりたい人もいます 私達はもう僧も尼僧も 受け入れないと 既にずっと 前から言っています その必要はないです ただその崇高な理想と願望を 頭の中に持って この 世界に生き続け 真理を 広めようとすることです; 高潔で慈悲深い 生き方を人々に 勧めるのです それがもう僧の境地です たとえ僧団に 留まっていても 人々の 精神を高揚させ 解脱を 見出す手助けをするために 世の中の役に立つことを 何もしないのであれば 全く僧ではありません 僧衣を着れば僧に なれる訳ではないです念のために言っておくと 私の道場には以前5百人 以上の僧がいました その後徐々に 徐々に 人数が減っていきました 一部の人には 適さなかったのでしょう 最も適さないのは 性別に 問題がある人達です ゲイや レズビアンだから 霊修行ができないと いう訳ではありませんー そうではないです ただ僧団では 私達は とても近くで共に暮します 私の場合は 僧のための 山と 私と尼僧のための 山がありました そんな感じでした それでも 尼僧の集団の中では トラブルがありました 起こりました 幾つか問題が起きました それで離れねばならなくなり 本当の僧と尼僧は残り それ以外の人達は 家で修行を続けましたなぜならレズビアンと 尼僧だとー当時は 時には1つのテントに 2人で寝なければならずー すると不都合です だから仏教の僧における 戒律 規則の一つに 例えば 貴方が 同性愛者で あるかどうかを尋ねる というものがあります もし同性愛者であれば 仏陀の時代と指導の下 この僧団に入ることは できないからです そして現代でも それは変わりません 今もその戒律は残っています 仏陀が差別して いたからではなく 状況が不都合なのです 同性愛者のような男性が 普通の男性である 他の僧侶と 一緒に寝ると 問題になるかもしれません それが全てですだから 万が一 私の団体で 僧や尼僧になろうと 思っても もはや必要ないです 2番目に もし他の仏教の 僧団で外の僧侶に なりたいのなら よく考えて 自分を 確認してください 僧や尼僧が自分の 性別について嘘を ついたりすることは ないからです ただ 入ってくるまで 事前に知らなかったり その後に物事が 起ったりする事もあります だからよく確認すべきです 自分をよく確認すること そして他の誰かを 指弾しないで下さい まず他の誰かを確認する のではなく 自分の全てを 確認するために 自身を指弾することです