どこかでマスターを 見たことがあるなら 人々を解脱させられる 真のマスター 強力な マスターを たとえ マスターだと知らずとも その人に好意を持ち 恐らく幾らか愛情を感じ 少なくとも彼らの心に 憎しみはありません すると多分 死のその時に そのマスターが来て 助けるでしょう
( マスター 前の会議で ある物語を 話して下さいました 商売の為に 鶏を殺し 後に病気になって 地獄に行き そこで 大きなカルマの苦しみを 経験した男性について 彼が観音菩薩に祈った後 彼女は 彼の前に現れ 彼に機会を与えました 人生に戻り 過去からの 全ての罪を償えるように 非常に善良で ) ええ ( 高潔でいる事で 動物を世話する事でです マスター この種の 経験は 人間の 運命の一部ですか? 又は その人が持つ 心の純粋さと 信仰に よるのですか? ) ええ ( 例えば 類似の経験が 今日の食肉処理場の 所有者が より早く 目覚めて 物語の男性と 同様の方法で行動する ために役立ちますか? )
そう願います 物語の中の男性は 鶏などを殺しましたが 前世でどんな功徳が あったのかは分りません 多分 縁があったのか 多分 霊修行者 良い霊修行者に 何か供養したのか 多分 非常に良い 背景に生まれたのです 仏教徒の家族のような 仏陀の教えに 厳密に 従っていなくても 少なくとも何かがあり 潜在意識に 若干の印象があり 良く なる方法を知っています その後 彼は 鶏を殺したのでしょうが 心の中では気分が 良くなかったのです 多分 考えたのでしょう すべき事ではないと 分っていたからです 生まれた背景によれば 仏教のように 不殺生で あれやこれやで たとえ彼は殺しても それを彼自身は 認めていなくても しなければなりません 生計を立てる為に最良で 最速の方法だと考えました 生計を立てるのが簡単で 動物を育てれば すぐに繁殖するので ただ売るか 売るために 殺します 少なくとも彼には 何か 良いものが内面や心に 又は 潜在意識の中に 又は前世の若干の功徳が 尚も 尚も功徳があります (はい マスター)
私達が持つカルマには 2種類あって 称賛に値するものと 罪深いものです 人生の幾らかの時期に そのうちの一つを 利用します どれだけポジティブな ものを使うかによって 更にその方向に もっと続けます ただし 負の方向を 始めるなら その方向を続けるでしょう (はい マスター) それは 功徳が減る という意味ではなく ただ罪が増えるのです
以前話した物語があります ある時 ある男性が 霊的なマスターの一人の 説法を聞きに行きました 一度だけで マスターは彼に 貴方は すぐに死ぬと言いました 今日か明日 とにかく 非常に早く 彼の人生は終わると 死んだ後に 貴方の魂は 裁判官の前に行って こう尋ねられます 貴方には幾らか功徳と 幾らか罪がある 功徳では 貴方は 天国で報われ 罪では 貴方は 地獄で罰せられる どちらを最初に 使いたいかね?と 選択肢があるからです 幾らか功徳があるので 選択できます 聖人の教えを 一日 一度 聞いたからです 裁判官に尋ねられたら まず天国での功徳を 選ぶと言うべきで すると天国に行かせます その後貴方は地獄に行く 必要はありません 天国に行ったら 彼は再び 天国でもこの霊的な 師に会います 偉大なマスターは 異なるレベルの存在を 持っているからです 彼らは 様々な天国で 様々な衆生を教えます 地球だけでなく 知っていますよね? 以前 言いました (はい マスター) それで 彼は天国に行き 裁判官は言いました 天国で功徳を終えた後 地獄に戻る必要があると ですが 勿論 その必要はありません 天国に上って このマスターの説法を 再び聞いたので もっと功徳があります! だから 上がり続けます (はい マスター) だから地獄に行く必要は 全くありませんでした
同様に 皆に話した 実話のこの男性は多分 幾らか功徳があります だから観音菩薩は救う為に そこに行きさえしました 彼は祈っていました だから彼は 良い背景に 生まれたに違いです それで観音菩薩に 祈る事を知っています
多くの人々は 彼らの宗教に関係なく 多くが 殺生について 知りません だから ただ何でも殺し どんな祭りの間でも 又は毎日ただ食べる為に 自分で殺さなくても 殺された動物の肉を 買って 食べます 全てのキリスト教徒や イスラム教徒 ヒンズー教徒を見ます 全員でなく 多くが 異なる宗教に属します 尚も毎日肉を食べていて 彼らの教祖 導師 元祖の マスターがいけないと 言っても(はいマスター) キリスト教では「汝は ワインを飲む者 肉を 食べる者の中にいては いけない」の様に 彼らは何をしてますか まさにそれをしています (はい マスター) 「キリストの信者」と 「仏陀の信者」は 同じです そのような何かを 持っていない場合 無知や 不親切な 習慣を治すことは 非常に難しいのです (はい マスター)
この生涯だけを考えて いるので 忙しいのです 経営する事業があり 世話する家族を持ち ケンカする妻を持ち 仲直りする夫を持ち あらゆることが 多分 相続のために 法廷に行き あらゆるものが すでに調理されて 与えられたものを 何であれ 食べます 生きている動物を 連想しません 彼らは考えません たとえ彼らが 分けて考えても その考えを分析し続ける 時間がありません そして彼らは忙しく ただ食べて 帰宅して 又働いて 他の多くの 事を心配します
だから実際に 真の キリスト教徒 キリスト 信者はあまりいません あまりいません 真の仏教徒や 仏陀の信者等々は あまりいません (はい マスター) どの宗教でも良い信者は 非常に見つけ難いです 多くいません(はい) だから 食肉処理場の 所有者や肉屋が このような経験を 持つべきかどうかと 私に尋ねましたが その幸運はないです(はい) 誰もが幸運がある訳ではなく 何かを刈り取る為には 何かを蒔かねばならない そうですね?(はい) 「蒔いた種は刈らねばならぬ」
だから常に言うのです いわゆる弟子たちに 常に善行をするべきだと 高潔で 善良でいるよう 自身を扱うように 他者を扱うように 貴方が扱われ たくないどんな方法でも 他者を扱わないように 特に 理不尽に 理不尽には とにかく 決して 分らないからで いつ 死ぬか決して分りません 私の周りの外にいる 非弟子でさえ 常に善良になり 善行をすべきです すると良い功徳があります たとえ来世で 解脱できないとしても よく修行しないからです 私の弟子でさえ 悪い事をすれば 本当に 再び生まれ変わらねば ならないでしょう 決して分りません この生涯で積んだ功徳が 来世に続くかどうか カルマも同じです
せめて功徳を幾らか得ます ある特別な状況で 聖人は貴方を助けられ 助ける口実を持ちます (はい マスター) または こういう人達は この種の仕事を 強要されます でも内面では嫌なのです 悔い改め後悔します そして幾らか言い訳も 持ちます 彼らの魂 心の中には 幾らか種が 思いやりの種 愛の種が あるのです すると彼らも助けられる でしょう(はい) 必要な時に 彼らがこの世を 旅立つ前後に 各々 人によります 又はどこかでマスターを 見たことがあるなら 人々を解脱させられる 真のマスター 強力な マスターを たとえ マスターだと知らずとも その人に好意を持ち 恐らく幾らか愛情を感じ 少なくとも彼らの心に 憎しみはありません すると多分 死のその時に そのマスターが来て 助けるでしょう でも そんな幸運な人は 多くはありません(はい)
マスターを批判したり 中傷しなければ 幸運を数えるか 既に奇跡です この種の世界では あまり期待できません 人は既にかなり深く 毒されています 幾多の生涯 習慣に 見本に従い 霊的な事を あまり気にかけず 考えもしません マスターが自分の 町に来ても 話を聞きに来ようとも しません または批判したり 嘘を広めたりして 無知のせいで もっと 問題を カルマを自身に 作るかもしれません いいですね もう分った? ( はいマスター 感謝します ) どういたしまして
( マスター 異なるレベルの 主はどうやって自身の 価値を回復するのですか )
どうやってですか (はい マスター) 休息が必要です(わお) 瞑想も(はい)そして マスターに助けを求めます (はい マスター) この世の人々と同様に 彼らの純粋性と霊的 価値を取り戻します 彼らはマスターと会い マスターと共に学び 日々修行するからです (はい マスター) するとより霊的に 健康に なります 取り戻します この世界の王のように 彼らは自国に 何人の国民しか持て ません(はい マスター) 大抵そんな感じです だから やって来た人の 数は 良くも悪くも その国の指導者の 価値と功徳に よるのです (おお) だから前に怖いと言った のです 悪い指導者は その国に悪いことを もたらすからです
トランプ大統領は米国に とって素晴らしいです 彼は高揚させ 仲裁の様に 物事を行います(はい) その後彼と共に 私達はビーガン国の為に 他のどの指導者より更に 希望を持つでしょう 私は何かしようとしますが 可能かどうか分りません (はい マスター) 勿論 人々は変われます 悪から善へと それは確かです(はい) でも変わりたいと思うか どうかによります 強制はできません(はい) 一度変わりたいと望めば マスターパワーが助ける ことができます 天は助けられます (はい マスター) 彼らは反対方向へと 進むからです (はい マスター) それに 彼が善人なら その価値があるなら マスターパワーは徐々に 幾らか与えられます ちょうど皆が人々に 栄養と軽食を与えると 彼らが病から回復する ように(はいマスター) 皆もそれを必要と する誰かに 霊的な 食べ物を与えられます
彼が主だからです 影の世界の上の より高い世界にいるなら それを決して失うべき ではありません でも彼らが影の世界に 降りてきたら どんな神でもマスターでも 自分の価値や功徳を 失う傾向があるでしょう 与えるからです その為にマスターは 降りてきたからです 与える為に(はい) 霊的功徳を与えるために でないと世界は治せません それを見られます OK?(はい マスター)